行雲流水

禅僧(禅宗のお坊さん)が綴る発想の種。旅は、私に大きな影響与えてくれました。 旅は、今の私を形作る糧となりました。 旅は、仏教徒として、禅僧として今を生きる私の大事な一部となりました。

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イギリス留学生活:力を抜くのも大事なんだ【旅の記録6】

留学する前に掲げた二つの目的

  1. 語学(英語でコミュニケーションをとれるようになる)
  2. 宗教学(現地の宗教の様子をこの目で見る)

その2つ目の目的はひょんなことから動き始めました。

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イギリス留学カンタベリー編③ 身近にいたキリスト教

英語強化のため、極力日本人と話さないようにしていた私。しかし、当時学校に在籍していた3人の日本人の内の1人が、実はクリスチャン(キリスト教徒)だったのです。

 私がその人がクリスチャンだと知ったのは、たまたま偶然。私が宗教学の一環で興味があると友達に話したことから、友達から友達へという具合に間接的に知りました。

 さっそく本人に聞いてみることに。その人は既に長くイギリスに滞在しており、英語も流暢。自分も通ってきた道だからと英語に必死だった私を気遣ってか、向こうも私に日本語で話しかけるのを遠慮してくれていたみたいです。

 事情を話すと快く了承してくれました。本人も興味を持ってもらえることが嬉しようで、お互いに話が弾みました。こんなことなら、英語もストイックにしすぎに、もう少し肩の力抜くべきでした。

 

力の入れ所、力の抜き所

普段から気を張っていると、上記のように周り人も気を使ってしまいます。確かに頑張ることは決して悪いことではありませんが、目の前のことだけに一杯になりすぎると周りが見えなくなってしまいます。そして知らないうちに、チャンスを棒に振ってしまうこともあるかもしれません。

 気をずっと張ったままの心。それは力が入りすぎてこわばっている身体と似たようなもの。いざっていう時に力をいれるには、構えがガチガチだと全く力が入りません。自分が狙うポイントで最大限の力を出すには、構えはある程度力を抜いておく必要があります。

 これはいろんなスポーツにも言えることかもしれません。これは身体にも心にも、人間関係にも、また英語にも言えることかもしれません。

 英語をちゃんとやろう、ちゃんとやろう、とすればするほど、緊張してしまって、いざしゃべろうっと思った時に、何も話せなくなってしまいます。完璧に、完璧にと思えば思うほど、小さなミスが気になってしゃべれない。すると自信も無くなってきて、話せない、聞き取れないと思ってしまう。

酒場(イングリッシュパブ)で飲んでいる方が、案外しゃべれたりするものです。

そういえば、私達日本語でもちゃんとは聞き取っていないらしいですね。全部を聞き取ろうとはしていない。大事なフレーズを聞き分けているから会話が成り立つみたいです。

 要は会話、コミュニケーションをとるには、相手に何を伝えたいか。そこだけを明確に、後は雑でもなんとかなるってことです。

 聞くときも一緒。ちゃんと相手を観て話してくれる人なら、大事なフレーズは強調してくれます。全部完璧に聞き取ろうとせず、相手が何を伝えたいか。大事なところ、強調してくれる所をまず聞きとりさえすれば、問題ありません。それに会話は聞き直すこともできますしね。

別に合格、不合格があるもんじゃないんです。 そう考えると、大分気が楽になります。実際英語だけでなく、会話やコミュニケーションでも大事な点なのかもしれません。

 なんにせよ、こうして私はイギリスにおいて、クリスチャンの方々とのご縁を頂いたのでした。


 つづく……

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