禅僧インスピレーション

禅僧(禅宗のお坊さん)が綴る発想の種。仏教徒として、禅僧として今を生きる私の糧となった出来事などを綴っています。

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このブログについて:タイトルの理由と始めたきっかけ

はじめまして。ちしょうと申します。(ちしょうさんのプロフィール - はてな)本日(2017年6月)よりブログをはじめました。

 

禅僧インスピレーションとは?

タイトルに禅僧と名を冠してあるように、私は禅宗の僧侶です。とはいえ、一般的に理解されている宗教(Relision)として、禅や仏教をとらえているわけではありません。

私にとって禅は宗教(Relision)ではありません

有名な禅僧、内山興正老師がおっしゃった、こんな言葉があります。 

「人間が人間以上のある権威(神あるいは神的啓示、その啓示をうけた神の代理者、巫師など)の言葉によって暗示にかけられて、人間がその権威に絶対的に従順になる関係を宗教とよぶなら禅は宗教ではない。  

しかし宗教が『もっとも洗練された人生態度の教え』(宗=生きる上でもっとも根本的な、教=教え)といういみなら、禅は純粋な宗教である」 

  ※『SOUSEI INTERNATIONAL』藤田一照老師の文より引用

 

 最近では宗教というと、前者の意味で捉えられることが多いです。しかし、これは西洋の「Relisoin」という言葉が元になっています。語源としては、「Re」が再び「Lision」が結ぶを表し、 「神と再び結ばれる」ことが前提にあることがわかります。 

しかし東洋において宗教は後者を意味します。少なくとも私にとって禅は「生きる上でもっとも根本的な教え」として捉えています。

 

前者と後者で何が違うか?

前者は神様が前提にあって、それを信じるか、信じないかが重要です。神様を信じる者は宗教、疑う者は宗教とは言えません。

 一方後者は、信じる、信じないは関係ありません。例えば「私は宗教と呼べるものを信じない」と、自分の教え(考え)を自分の根本に据えていることも宗教と言えます。だから私はどんな人であれ、各々の宗教を持っていると考えています。

要するに前者の意味、宗教をRelisionとして考えるのであれば、私は無宗教です。でも後者の意味で考えるならば、私の宗教は禅や仏教を基本としています。

と、まぁ、このように私達は様々なものからインスピレーションを受けています。 

 

「Inspiration(インスピレーション)」

 ひらめきとも訳されるこの言葉は、「Inspire」の名詞形。 「In(中に)」「spirare(呼吸する)」というのがその語源です。 イメージとしては、外の空気(発想の種)を吸い、それが元となって内から新たな発想が湧いてくる。そんなイメージ。 

私にとっての発想の種をどこかに書き留めておきたい。

それが私がこのブログを始めたきっかけです。 上記の引用もその一つです。ただ、このブログではそこまで固い話をするつもりはありません。(時々、そんな話になってしまった時はごめんなさい)

私自身の過去、旅先での出来事や趣味など、 もっと身近な所から仕入れた「発想の種」を綴っていきたいと思います。


 もし書いてほしい「お題」がありましたら、下記のアドレスの「お題リクエストフォーム」よりお願い致します。参考にさせて頂きます。

zensoinspiration.hatenablog.com(同じウィンドウで開く)

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