禅僧インスピレーション

禅僧(禅宗のお坊さん)が綴る発想の種。仏教徒として、禅僧として今を生きる私の糧となった出来事などを綴っています。

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バック・トゥ・ザ・フューチャー:仏教とタイムパラドックス【心響く作品】

1985年制作、私と同い年ということもあって、思い入れもひとしお。私が映画を観るようになったのも、この作品のおかげといっても過言ではありません。

お題「何回も見た映画」 バック・トゥ・ザ・フューチャー

子供の頃は何度も繰り返し観ていました。大人になってもその良さは変わりありません。ただ少し古い作品なので、知っておかなければいけないことが一つ。この作品は、タイムマシンを扱ったSF映画で、1985年に生きる主人公が未来に行くわけですが、その未来が2015年。

 つまり、もう現実世界では、過去になっちゃったわけです。バック・トゥ・ザ・フューチャー未来へ戻る。そういう事も考えてのタイトルだったんでしょうかね? だとしたら凄い伏線ですね。

 作中にも伏線やいろんな小ネタがあって、シナリオ展開もGOODです。それに実際の出来事が的中しているというのも話題になりました。大統領とかですね……。

 また本作は三部作になっていますが……

実際には最初から三部構成ではなく、一部目で完結だったらしいです。後々に続編の制作が決まったらしいですが、そうとは思えない程、三部作として、見事に話がまとまっています。

 後から話をくっつけるって中々難しいと思うんですけどね。伏線だったり、後からうまく話しをくっつけていたり、話を構成の工夫を観ても個人的に勉強になります。 

 

 タイムパラドックス仏教の「縁起」

タイムトラベルによって、過去改変が行われ、現在に影響を及ぼす。そして、そこに矛盾が生じることが、タイムパラドックス(時間の逆説)。実際に「時」に関してどのような考え方をしているかは、ここでは置いておきますが、仮にタイムマシンというのもがあったとして、必ず話題になるのがタイムパラドックスです。

 バック・トゥ・ザ・フューチャーを見る度に、このタイムパラドックスについて、子供の時から色々と考えを巡らしたものです。本当にこの映画がおもしろくて、シナリオの矛盾点、タイムパラドックスはないかと、粗探し的な事もしたほどです。

 ただ、そうやってタイムパラドックスについて一つ一つ考えていく内に、「これはもっと複雑な話になるんじゃないか?」と思うようになりました。こういう子供の時に感じたことが、後々仏教の「縁起」の話とリンクしました。

そこで思い出す話がアガサ・クリスティーの小説の一説です。

 

アガサクリスティーの小説の一説

実際、私はこの小説を読んだ訳ではなく、以下の本の引用で目にしたのですが……

仏教と人間―主体的アプローチ (東書選書)

仏教と人間―主体的アプローチ (東書選書)

 

アガサ・クリスティーは自殺したがっている女性に向かって、作中の人物に次のように言わせている。

「1人の男がある場所へきた__自殺の目的で、と想像してください。しかし、偶然にその場所にもう1人の男がいた。そこで彼は目的を遂げずに立ち去りました。__生きるべく。第二の男が第一の男の生命を救った。しかし死のうとしたその男にとって彼が必要だったわけではないし、彼が世間の役に立つ人間だという理由からでもありません。ただ、単にある場所にある瞬間居合わせたという物理的事実だけなのです。あなたが今日死ぬとする。そして、たぶん、今から五年、六年、七年と経って誰かが自殺するか、あるいは不運に見舞われることになる。それというのも、あなたがある与えられた地点とか場所にいなかったという些細なことが原因だってこともありえる。道を走ってくる馬があなたの姿を見たために横へそれて、道で遊んでいる子供をふみつけずにすむ、そんなことがあるかも知れない。その子供は成長して偉大な音楽家になることもあろうし、また病の治療法を発見するようになるかも知れない。あるいはそんな出世物語にはならないで、子供はただ素直に成長して平凡な幸福を……」

彼女は目をみはって、「あなたは妙な方。あなたの話したようなこと__あたし、一度も考えたこともありません……」

「自分の命は自分のものだとあなたは言いましたね」とサタースウェイト氏は続けた。

「それは神というプロデューサーの指揮の下で行われる大芝居の中で一役買う願ってもない機会を、あえて捨てることです。こんな素敵な芝居に出ないんですか。あなたのせりふは芝居の最後までないかも知れない__おそらくまったくの端役で、単なる通行人の役かも知れない。しかし、あなたが相手の役者の合図のせりふを言わなかったら、それで芝居の統一はまったく乱れてしまうでしょう。その芝居全体がメチャクチャになってしまうでしょう。あなた個人だけとり出せば、世の中の誰にも重要でないかも知れないが、特定の場所におかれた人間としてのあなたは想像出来ないほど需要なんです」

(一ノ瀬直二訳「海から来た男」、『クィン氏の事件簿』より)

引用の引用ですいません。

これは「縁起」という仏教の教えを説明する時に使われている引用です。

 

縁起と時計

今現在、一般的に使われている縁起(ex,縁起が良い、悪い、担ぐetc)という言葉は、仏教の「縁起」とは全く意味が異なります。

詳しくはこちらを参考にしてください。

www.kosonji.com

むしろ「関係性」という言葉のほうがニュアンスとしては近い。簡単に「つながり」と私は言い換えています。私達は直接的に間接的に、無数と言っていいほど、様々なものと関係しています。ほんの小さな変化でも、それが基となって様々なものに影響を及ぼす可能性があります。

まるで一滴の水滴を水に垂らして、波紋が広がっていくように。上記のアガサ・クリスティーの文章のように。コーヒーの一杯をその場所で、その時間に飲んでいる。その事実でさえ、結果としては世界全体に影響を及ぼしているかもしれないわけです。

ちょうどタイムトラベルということで、機械式の時計をイメージしてみてください。時計には、無数の部品があります。部品の一つ一つはとても小さくて、ちっぽけな存在です。誰もそのちっぽけな存在に関心をもってくれないかもしれません。

でも、その小さくてちっぽけな部品の一つに何かトラブルでもあれば、それは時計全体にも影響を及ぼします。例えば部品の一つが壊れたら、時計は止まります。タイムトラベルというのは、それ自体が、その小さな部品に干渉すること。タイムトラベル自体が世界全体(時計全体)を壊しかねません。

「タイムマシンなんて無い方がいい」

作中のセリフにはきっとそんな意味もあったんじゃないかなぁと思います。

タイムパラドックスを考えているうちに、仏教とリンクしたらこういう事になりました、という話でした。

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